ルール通りに、いかないこと。
当然です。
成長や・・想いは、常に越え続けるからです。
越え続けるし。
大幅に下回ることもあるのです。
大きく下回るとは・・、想いが落ち込むことがあり・・再起不能になるかと思うほどに沈んでしまうことです。
ルールが出来てしまうと。
ルールを越えるコトをしてはいけなくて。
ルールを下回るコトにもなってはいけない。
これで鬱の出来上がりです。汗
生きているモノの想いは、ルール通りには絶対に行きません。
いつも成長し続けているからです。
それが自然の基本だから。
ルール通りに生きる事は・・苦痛でしかありません。
苦痛を感じます。
肉体の全身も、精神の全霊も、苦痛を伴うのです。
人が人工的に作ったルールを守ろうと一生懸命の人間は、いつか何かが破綻します。
なぜなら 『成長は止められない原理』 だからです。
ルール人間にとっては、成長し続ける自然は驚異なのです。
それをルールでは・・「想定外」と言います。
「想定内」は・・いつか必ず破綻します。
なぜなら、ルールと言う想定を越えるモノが必ず現れるからです。
それはルールを互いに壊し合うイタチゴッコのコトではありません。
例えば、犯罪とは。
犯罪とは、ルール内で発生するコトなのです。
ルールの出来ていないトコに犯罪はおきません。
では、ルール無きトコロは無法地帯なのか?というと。
それは、ルール在るトコロを安全地帯と呼んでいるのであって、安全地帯というルール地帯が存在すれば、それ以外を無法地帯と呼ぶのであって。
屁理屈!?笑
最近の歴史で言うと、中国大陸から台湾へと独立を果たそうとする民族。
ヨーロッパ諸国から自由を求めてニューヨークへ移民してきた各国民族。
古いしきたりや宗教差別など、ルールに縛られ不自由となった民族が新たな土地を求めて成長し続けてきた。
で!次は、宇宙開発の中、宇宙空間でのルールを作るのでしょう。
今、宇宙空間は無法地帯ではありません。(地球人から見て)
成長の自由がいっぱい広がっている。(地球人の目からみて?笑)
でも、いつかルールが制定されると、安全地帯と無法地帯が生まれ、ルールを犯す犯罪も存在するコトになる。
でも今はルールがまだ無いので、自由な成長が広がっている。
「ルールが無ければ・・危険ではないか?。」
いいえ。
言い方を変えれば
「危険にあった時・・ルールがあれば良かった」と言うでしょう?。
でも、ルールが無ければ、もともと全てが危険なのです。
その全ての危険から生き抜く為に『成長という自由』が在るのです。
動植物が各々持っている身体能力は、成長の自由が成し続けるものなのです。
『成長の自由』を全身全霊が成し続けられるコトが健康であり、重要な幸福なのだと思います。
ルール通りに行くことは、動物の我々にとっては苦痛のなにモノでもありません。
ルールに合格することは、ルールを下回っても・・上回ってもいけないルールなのです。
自然にはルールは在りません。
自然には成長があるのみです。
ルールの中で合格基準を維持する人間には、自然は驚異であり・・想定外なのだそうです。
サイキックの眼 ヤマモト・コージ

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