「気遣い」と「気違い」
気遣う(き・づかう)気持ち。
気違う(き・ちがう)気持ち。
対照的な気持ち、感覚。
あの人は、相手に気遣いのある人だ。
あの人の言ってることの気が知れん!・・まるで「キ〇ガ〇」だ!怒。
僕が思うに・・単純に言うと、
● 「気遣い」とは、自分の立場を理解した上で踏まえた、相手への気持ち。
● 「気違い」とは、自分を理解出来ていない状態を踏また上で、表現する気持ち。
要は、状況・現状と気持ちを理解出来ているか?どうか?である。
また或いは、
相手から、鬱陶しく感じ受ける「気遣い」もあれば。
「気違い」じみたコトでも、妙に納得させられる時もある。
要は、「気遣い」と感じ受ける気持ちも、「気違い?」と感じ受けるコトも、本心が備わっているか?どうか?である。
● 本心が明確な「気遣い」を相手から受けると・・受けた側にその気持ちが備わります。
● 本心が明確な「気違い」を感じ受けると・・深く考えさせられる。
● 本心がアヤフヤな「気遣い」を相手から受けると・・何も感じず返答に困り。
● 本心がアヤフヤな「気違い」を感じ受けると・・・・・・・。???
なぜ・・ハテナ(?)なのかと申しますと、ややこしいので御座います。
アヤフヤな気持ちを持って、アヤフヤな気遣いをし合っている人間関係って多いでしょう?。
アヤフヤな気遣いを受けて・・アヤフヤに感謝し合って。
でもって・・ニコニコして。
・・・・気持ちが違ってる?!
気持ちが違ってるのに・・気遣い合っている?!
気遣っているつもりが・・・・・気が違う。
(なんかさぁ 綾小路きみまろ のネタみたいになってキタ?笑)
ここで本題のタイトルの補足をします。
『気の遣い』と『気の違い』 です。
アヤフヤではなく、本当の本心を持ち、その気持ちと説得力を持って人に「気遣う」ことは、大きな労力と根気が必要です。
「気を遣う」「気を遣わない」
「気が違う」「気が合う」
こんな人間関係を日々考え悩み尽くしていると・・ホンマにノイローゼになってしまいます。
なぜ?ノイローゼになるのか?と言うと・・相手に明確な本心が見当たらないからなのです。
そして何よりも、自分の本心が曖昧で見当たらないからなのです。
その・・曖昧になってしまった理由というのは個人各々に持ち合わせています。
本当は誰でも本心が在るのです。
それが・・アヤフヤな環境の中で、大いに萎えてしまっているのです。
そして日々、曖昧な「気遣い」と・・アヤフヤな「気の違い」に翻弄され続けます。
つまり
本心が相手への「気遣い」をし。
本心が相手と自分との「気の違い」を分別し、感じるモノなのです。
この本心が無ければ、翻弄とノイローゼの日々になる。
しかし。
しかしです。
本心だけは、学校では学べません。
自分の中に在るものですから。
誰もが本心を我慢しています。
だから自分も我慢しなければいけない・・。
あからさまにわめいているヤツは「気違い(キ〇ガ〇)」だ。
「気違い(キ〇ガ〇)」には「気を遣う」よ!まったく。
・・・・・。
でも。
わかる気がする・・。
本心が胸の奥底に在るのは事実じゃないか・・・。泣
その本心をどうしたら良いのだろう。
それは。
本心から逃げないことです。
なぜなのか?
本心は、苦しいモノなのです。
サイキックの眼 ヤマモト・コージ