認知症
サイキックの眼から視た 『認知症』 についてのお話しをします。
僕はカウンセリング依頼者の方々に必ずお伝えしていることがあります。
それは
「ポックリ逝くまで現役で仕事が出来て、しっかりと自分の居場所を持っていましょう」
「決して老後に隠居なんて考えないように、生涯の計画を立ててほしい」
つまり『生涯現役』です。
クライアント(依頼者)の方々には個人の悩み解決以外に、全員モレ無く!「生涯現役」が出来るようカウンセリングを努めています。
なぜなら・・・先ずこれからの将来、大変過酷な未来がまっているからです。
いきなりヘビーな言い方ですが・・、また追々別の機会にお話しさせて戴きますが。
過酷な未来というのはつまり・・
「自分らしく生きて、そして自分らしく死んでいく当たり前のことが、どれほど困難で尊く大事なことか」
これが難しい時代がやってきます。
この観点から今回とりあげたテーマが
『認知症』です。
僕も以前、訪問介護の仕事に携わっていたので、何人も認知症の方々と向き合ってきましたし、触れ合ってきました。
当時は、なぜ認知症になられたのか?は、透視能力により理由を理解しながらも・・、担当医や看護師さんを含む介護スタッフの指示に従っていました。
「透視能力による理解」というのは、たとえ認知症であっても、そのかたの本質と、心・魂の在りようが視えるので、認知症に至った事情~人生の経緯がわかるのです。
脳や遺伝子の問題ではないか?と、医療分野の学者の方々の研究もあろうかと思いますが、僕の観点は違います。
ここからが本題です。
認知症になった方の姿(失礼)
その姿が、その方の本心の姿なのです。
ご家族を介護された方にはお判りだと思います。
つまり、認知症を発症するプロセスは。
①【幼少期】自己の本心・本音を押し殺して、環境や世間体に合わせた生活をしてきた。
②【成長期】不本意でも知らず知らず実生活を優先し、我慢の日々をおくる。
③【熟年期】本当の自分とはかけ離れた性格に成長し続け、感情も精神も肉体も脳も、実は我慢の連続。
④【老年期】長年勤めてきた仕事と家事をはなれる。 すると我慢の連続が解けると同時に、我慢で成長してきた脳知識(身体)は、役目を終える。すると幼年期に残されたままの本当の自分だけが浮き彫りになってきます。
つまり長年の我慢が解ける。
そして我慢が解けた後の脳と肉体は、子供の頃の感情が、まったく育っていない状態で表れてしまう。
本心の親を知らない子供さんなどは、多重人格のような親の姿に苦しい思いをされる。
介護者となる子供さんにも、実は親の本心を受け継いでいるにもかかわらず、我慢性格の親の教育等を受けてきたので、認知症になった親の本心の姿に、どうしようもない憤りをかんじてしまう。
「私だって好きなことを言って、親に甘えたかったのに。」
こうして介護者である子供さんなど親族は、親が認知症になって初めて、本当の親の性格を垣間見るのですが・・、それを受け入れるのは相当時間がかかります。
なぜなら子供さん親族も、本心の感情が爆発しそうだからです。
本心×(行動+感情+結果)=生涯健康で明確な人生
簡単に言えば、この方程式が理想的なのですが、この式のまま人生を生きている方は少ないでしょう。みんな何かしら・・運命?や境遇や人間関係、社会抑圧から我慢を強いられて、思うように生きれていない。
当然といえば当然。
しかし!
僕は皆さんに「本当の自分」を生きてもらいたいと願っています。
亡くなられた方の透視も多く依頼されてきましたが、認知症を患った方の死後の世界は、自意識が戻らないままで、また生まれかわるのに相当の時間をついやす場合が多いようです。 なのでこういう場合には、故人が本当に好きだったモノをお供えしてあげるようにお教えしたり、供養方法をお伝えします。
故人本心への想いは魂に伝わり、あの世であっても眼が醒めやすくなります。むしろ肉体がないので、ダイレクトに伝わります。
(この部分は奥が相当深い問題なので、またの機会に。)
遺族の子供さんは、そのお供えモノを聞いて、やっぱり・・と腑に落ちる方もいれば、悔しい気持ちに感慨深くなられる方も居ます。
悔しいというのは、故人同様、子供さんも本来は好きなモノなのに、生前の親がそのモノを我慢を強いり、否定していた経緯があるからなのです。
ここで友人から相談を受けたお話しをします。
友人Mさん(女性)は特別養護老人ホームで務めています。
彼女の受け持つ施設入居者女性の相談。
その方は認知症で、寝起きは出来るそうですが、何も話されない方だそう。
しかしですが・・少々大変なコト(失礼)をされます。
自室でウンチをされたあと、タンスになおしてしまうのです。
いくら注意をしてもいつも続けられるそうです。
どうしたものか?と、友人Mさんから相談を受けました。
僕はそれを聞いて、こう応えました。
「そのウンチは、その方にとって自分の分身ではないか?。自分を感じる温もり。そして何よりも・・我が子ではないのかな?」
そう伝えたのです。
後日Mさんはそのかたに、子供さんがいたのではないか?と、声かけをしたそうです。
すると・・、自分の手では育てられなかった経緯がある実の子が居たことを正気に戻って(失礼)沢山話されたそうです。
カルテにはない実子の存在でした。
自分の分身である我が子の温もりと、自らの母性(本心)を感じたかったわけです。
自分のウンチを抱くことで、精神を維持していたのです。温もりを失いたくなかったのです。
しかし、その話しが終わると、すぐまたもとの認知症の姿に戻られるそうです。
この事例で解るように、
本心、本当の自分とは 『 本能 』 と言えるでしょう。
『本能』 のままに、あるべき姿こそが本当の自分であります。
本能のままでは良くない?!。
我儘、ダメな人間、我慢しなさい!、みんな我慢してるんだから、いい加減にしなさい、言うこと聞かなきゃダメ、お前が悪いんだから。
こんな社会秩序と教育。
笑えません・・いつ笑ったらいいのですか?。
いつ幸せを実感できるのでしょう?。
「お爺ちゃん・お婆ちゃん、ご苦労様でしたね、
いっぱい苦労してきたんだから、仕事も家事もしなくていいから、
老後はゆっくり自分の好きなことして過ごしてね」
「好きなことって?ナニ。
私の好きなこと?。
なんだろう・・・。」
すると・・今まで我慢し頑張ってきた脳と身体は休眠に入って、本来の『本能』が表れます。
まったく成長していない『本能』。
周りの人は、それを 『認知症』 と呼びます。
全身全霊で本能のままに生涯を生きる!
確かに勇気と精神力が不可欠ですが、
一人でも多くの方が実現されるよう、
お手伝い出来ますことを僕は心から願っております。
あと最後の最後に・・・
『本能のままに生きる』 には、
本能の責任をしっかり持つことが重要です。
社会や世間体、他人から強いられた我慢は、無責任ですから。
※併せて 「認知症の未来」 も、ご参照下さい。
サイキック 山本 浩二
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